『信濃川ウォーターシャトル構想とは』
新潟青年会議所から始まった運動で民間企業が引き継ぎ、新潟の顔として現在運航されている「信濃川ウォーターシャトル」がある。1987年(昭和62年)に新潟地域ビジョン「ウェルカムシティーにいがた」が標榜されて以来、新潟JCとして10年間の活動を経て、1996年度(平成8年)津吉孝司理事長時に具体的なアクションプランとして挙げながら事業が進められた。
(出典:公益財団法人新潟観光コンベンション協会『新潟市観光フォトライブラリー560002シャトル雄姿』http://photo.nvcb.or.jp/photos/search/selcategory/6/8)
1995年度(平成7年)片岡龍郎理事長時のメトロポリタン新潟委員会で「平山征夫新潟県知事(当時)の施政方針を理解し、以てその遂行をバックアップする事により新潟の発展を目指す」というコンセプトで新潟都市圏中心部における都市高速公共輸送システムMETS(Metropolitan Express Transit System)を提唱したのである。
その翌年の1996年(平成8年)にアクアシティ新潟委員会で高速公共交通システムを補完し新しい市民の足となるよう信濃川でのウォーターシャトルについて調査、研究、行動を行い新潟観光コンベンション協会、県、市、建設省(現国土交通省)運輸省(現国土交通省)などと協議を進めたのである。
時代背景として1995年(平成7年)1月に阪神・淡路大震災が起こりその後、建設省(現国土交通省)内で堤防の改修と災害時の緊急交通手段としての水上交通について見直す動き(ex.埼玉県荒川放水路に桟橋付の水防ステーションを設置)がでてきた。そこで
①緊急時の水上交通のための桟橋を信濃川両岸の要所に設置。
②その桟橋を日常の通勤・通学のためという公共性の名の下において他のプレジャーボートとは別に特別にウォーターシャトルの停留所として利用させていただく。
③公共交通(バス、鉄道、佐渡汽船)を使っての桟橋へのアクセスや駐車場、そして川沿いの公共施設とのタイアップをはかることにより、利用者を発掘し、事業採算性を高め利便性の高い公共交通として育て上げる。
と提言書を作成しウォーターシャトル実現への運動が進められたのである。