『信濃川により親しみを持ってもらいたい』
「信濃川•手作りいかだ下り」とは新潟日報社主催の元1983年(昭和59年)8月21日「我が都市にいがたの明日を考える」事業の一環として、母なる信濃川を自ら製作した「いかだ」で下り、その趣向と速さを競いながら川に親しみ、川を愛し、川の存在を再認識する心を養い、川によって東西に分断された「新潟の心」を一つにまとめ、新しい未来の都市づくりを目指そうと行われた事業である。
『第1回信濃川•手作りいかだ下り』
「第1回信濃川•手作りいかだ下り」は市民から408チーム、2,700名の応募があり、抽選で選ばれた110チーム、670名が参加した。実行委員会は大会当日まで100回を超す会議が行なわれ当日の成功に備えた。コースは花の牧 酒屋水位観測所〜新潟市万代橋までの約130キロ。廃品など様々な物を使い、市民の創意工夫溢れるいかだが速さを競いゴールを目指した。当日午後行われた表彰式では、大会会長与田一憲理事長の挨拶の中で、「またやってもいいかな!!」という言葉に盛大な拍手が行われ無事大会は終了した。
『市民の反応は』
その後広報委員会より市民の声100人アンケートが行なわれ、
◎手作りいかだ下りを知っているか?
知っている 84人
知らない 16人
やった方がいい 69人
わからない 12人
やめた方がいい 5人
と賛同の声が多く、「今後のいかだ下りはどうあるべきか」には、ほとんどの方が良かった、観たかったとの声が多数をしめたが、危険なのでやめた方が良いという声も上がった。
新潟市民から高い関心が寄せられたこの事業は1985年(昭和61年)まで開催され市民に親しまれた。