北方領土問題
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『北方領土問題とは?』

北方領土問題とは、第二次大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日に当時のソ連が日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に、我が国固有の領土である北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)を一方的に自国領に編入し、今日までソ連、ロシアによる不法占拠が続いているという問題である。

 

『視察のきっかけは』

1983年(昭和58年)度の日本青年会議所の北方領土推進委員会の内藤宏武委員長は新潟青年会議所のメンバーであった。当時の新潟青年会議所(与田一憲理事長)の国家問題委員会(橋田憲司委員長)では、内藤委員長をバックアップするとともに、北方領土問題を語る前に実際にノサップ岬に行き、自分たちの目で見てみるべきであるということから、北方領土視察が実現した。

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『ノサップ岬へ』

同年8月6日、新潟青年会議所から総勢26名(道外LOMの最多登録表彰を受けた)が根室に入り、前夜祭に参加した。前夜祭には深谷総務副長官をはじめとする政府高官も多数参加して行われた。翌8月7日、途中根室市の明治公園で視察祈念の千島桜の植樹を行い、その後ノサップ岬へ到着。残念ながら、霧のため島はよく見えなかったが、「厳しい現実」がそこにはあった。いつの間にかソ連の監視艇が眼前に現れたとき、十数隻の日本漁船は白波を立てて一斉に港に逃げ帰ってきたのである。この光景を見た橋田委員長は、「取り戻そう、北方四島」の意を一段と強くしたという。

 

『盛大な記念式典』

日本青年会議所の主催により、ノサップ岬で記念式典が行われた。世論喚起のために行われた「列島縦断3400キロリレーマラソン」の最終地がここノサップ岬であり、沖縄を出発して引き継がれたタスキをかけた内藤委員長は、式典参加者2000人が見守る中、しっかりとした足取りでゴールインし、感動を呼んだ。こうして日本青年会議所の第14次北方領土視察団は、所期の目的を成し遂げたのである。

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