緑化推進運動と公園づくり
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『始まりは』

新潟青年会議所の歴史における緑化推進運動と公園作りの始まりは1955年(昭和30年)の駅前街路樹祈年植樹、1958年(昭和33年)の駅前街路樹寄贈などから始まり、1959年(昭和34年)には白山公園へスベリ台寄贈等を行ってきた。

 

 

『緑の街を』

1970年代初頭、新潟市の人口は約40万人であった。新潟市は緑が少ない、公園が少ない、という事から『新潟市へ樹木を40万本寄贈しよう!』のスローガンのもと、1971年(昭和46年)橋本行雄理事長により、社会開発運動におけるJCと市民が一体となる運動を目指し緑化運動は始まったのである。当時は樹木を購入し学校や公園に寄贈するという方法を繰り返してきた。しかし膨大な資金が必要となるため、手頃な種苗(しゅびょう)の購入と育苗(いくびょう)地を確保し、自分たちの手と足で樹木の生産を開始した。その後3年から5年で苗は育ち、新潟市へ寄贈すべく1973年(昭和48年)には黒川村(当時)の育苗地6,496㎡を購入した。1974年(昭和49年)には山木戸に育苗地(約2,300㎡)を賃借したことにより緑化運動は着実に前進したのである。

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1974年(昭和49年)から育てられた苗木(なえぎ)は1976年(昭和51年)に出荷できるほどに育った。そして信楽園など福祉施設8カ所へ寄贈するという最初のセレモニーが行われた。

 

 

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『市民に緑を愛する心をアピール』

1974年(昭和49年)に新潟市にとっては最初のグリーン・パトロールカーを新潟市に寄贈した。グリーン・パトロールカーとは、緑色の塗装を施した自動車であり、公園や街路樹の管理を行う使命がある。同年の新潟まつりにおいて、市民へ緑化PRのためにキャンペーンに係る山車を制作した。チビッ子の人気を独占し大変好評であった。

 

 

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『愛する心は公園づくりとチャリティーへ』

緑化運動において、市民の緑に対する認識を深めてもらうことが大切な事と考え、1974年(昭和49年)に『おはよう公園大清掃』を開催した。JCメンバーが率先して「ネクタイ・背広」をとり、各公園管理町内の人々に呼びかけ、草取り・ごみ拾いに汗を流した。こうした地道な運動を通じ、行政当局、市民、そして青年会議所が一体となった組織が生まれ、都市緑化への力強い歩みがなされ、各町内会のお年寄りによる、公園を管理するグループづくりも進められた。具体的には、グリーンボックスの設置、管理、回収、グリーンカードの作成、緑化基金を集める為にチャリティーショーを開催し、育苗地での整地、植付、施肥、草取り、剪定、わらしきなど、各委員会が交代で行いながら緑化推進運動は進められてきた。

1978年(昭和53年)に継続事業の見直しとし、緑化運動の今後の進め方を策定した。「緑を愛する心を育てる」ことを全面的に継承しながらも、育苗という膨大な資金を必要とする事業と全会員の参加活動が年々低下をたどる現実、育苗地での諸問題などを検討した。その結果、山木戸育苗地の返還、1980年(昭和55年)には緑化事業を黒川の土地返却という事で一つの区切りをつけることとなった。

 

新潟青年会議所の先輩諸氏の努力、緑化推進運動と公園作り、公園清掃は今も継承されながら、行政•市民に受け継がれ、根付いているのである。