『急速に進む自動車社会』
1960年代当時、自家用車の急速な普及により都市交通の混乱が発生し、新潟市の秩序ある発展がさけばれ始めていた。当時の自動車の増加ぶりにはあらゆる施策が後手にまわるほどの状況であった。
1963年(昭和38年)6月18日激増する車の安全運転を念頭に、いくらかでも運転者の注意を喚起できればと新潟青年会議所から道路標識20基の贈呈が行われた。また、同年9月27日通行者の安全と交通事故未然防止のために、最も繁雑な万代橋東詰交差点にガードレール2基を新潟東署に寄贈した。
『より快適な都市生活のために』
1966年(昭和41年)未曾有の大震災をうけた後の新潟市を、“明るく、豊かな住みよい街にするために”のスローガンのもと、資料収集に市の窓口や関係官庁の窓口を訪れ、時間と労力を使い64項目のアンケートを作成し、2858名に送付した。そのうち1402名から回答が得られ、当時のコンピュータも活用して集計作業が行われた。一般市民からも関係官庁等からも、この結果を早く知りたい旨の問合せが頻繁に来るようになり、関心の度合いの強い事を認識。さらなる掘り下げを行い、アンケート結果を基に議論を行い、新潟青年会議所からの提言書を作成した。
(1)古い家なみを新しい都市再開発の手法で生まれかえさせる。
都市がいたずらに膨張することが発展にはならない。新たに開発された土地は道路、交通、下水道、電話などあらゆる公共資本が一朝一夕には完備しない。そのため、より快適な都市生活を送るためには既成市街地の開発を図るべきである。西新潟・東新潟の古くからの街には特に要望される。
(2)西堀につらなる寺院を移転させ、敷地を公共用地あるいは、公共駐車場などとして都市再開発上有効に活用する。
西新潟の中心地には、数多くの寺院がつらなって存在する。この中からいくつかの寺院が、新しく郊外に敷地を求めて移転されたら、公共用地あるいは公共駐車場等として都市開発上、有効に活用できるであろうとの意見は市民に深く潜在している。新潟市も英断をもって実行に移してよい時期ではないかと考える。当局をはじめ市民全般の協力を節に要望したい。
一方、1966年(昭和41年)12月11日に放送されたNHK総合TVの特別番組で、”地方都市のビジョンを考える。新潟市の現実と未来”と題し、新潟青年会議所の収録したアンケート結果を基として、市民の代表の方々と有識者の方々が、市長と共に40分間対談。説明役として当時の川崎了一副理事長が出演した。また、1967年(昭和42年)2月18日には新潟県企画部主催の新潟県地域開発研究会に、当時の川崎了一理事長が講師として、”新潟市地域の社会開発計画について”というテーマでアンケート結果の中間報告の概況を説明するなど、非常に関心をもたらした。