ソビエト連邦訪問
1967_ソ連革命50周年式典

『きっかけは地盤沈下』

1967年(昭和42年)に「社会開発計画のためのアンケート調査事業」が実施され、その結果を受けて同年9月「明日の豊かな市民生活と新潟市発展のために」と題するレポートが発表された。その中の提言の一つが「対外貿易を強力に推進しよう」である。

提言の背景には、当時問題となっていた新潟市周辺の「地盤沈下問題」があった。アンケートによれば、当時の新潟市民の一番の不安は「地盤沈下」であった。戦後の新潟市の経済発展において「水溶性天然ガス」が大きな役割を果たした。しかし、それに伴う大量の地下水汲み上げが急激な地盤沈下を引き起こした。産業の発展と環境保全が二律背反の課題とされたのである。

 

訪ソ1

 

『打開策は、、、』
新潟青年会議所は、その打開策を「新工業港を中核とする新潟新産業都市の建設」と「ソ連の液化天然ガス輸入を目前に控えた対岸貿易」にあると見出した。具体的には、
①新潟市とハバロフスク市との姉妹都市運動の一層の推進、
②対岸の若者との交流、
③青年会議所内の窓口設置と調査研究、
④市民へのPR
を掲げた。

 

1967_ソ連革命50周年式典

『ソビエト連邦へ』

好機はすぐに訪れた。その年の11月、「ソビエト革命50周年式典」に、姉妹都市ハバロフスク市より新潟市に招待があり、市長(事情により不参加)、市議会議長、商工会議所会頭、新潟日報報道部長とともに、当時の新潟青年会議所の川崎了一理事長が招待されたのである。訪問団は羽田経由でモスクワに行き、中川駐ソ大使、山本社会党書記長、椿参議院議員、NHKの大塚アナウンサーなど知名方々とも同乗した。
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『副知事、市長との対談』
国内線へ乗り換えハバロフスク市へ。
市長との会見席では来年度実現する新潟~ナホトカ間の定期航路を喜び、新潟~ハバロフスク間の航空路開設については日本側に問題があると指摘され、領事館設置については条件整備が必要ではないかと聞かされた。また、新潟大学とハバロフスク大学との教授交換の実現、新潟まつりパレードへ芸能団の派遣を要望し、検討する旨返事をいただいた。副知事は友好親善は人の交流がまず第一であり、沿岸貿易は両国ともまだ勉強不足である。品目の拡大については研究するという話を得た。また、ソ連では連日の歓待を受けたという話が残されている。