『社会福祉運動の始まり』
新潟青年会議所の歴史において、社会福祉運動の始まりは孤児を預かっていた若草寮(現在、児童養護施設)の訪問、洗濯機の寄贈、一日親子デー、児童画の募集展示会などがあげられる。当時(1959年)のJCメンバーが若草寮に訪問した際の状況が下記掲載の写真で確認できる。
社会福祉運動は新潟青年会議所設立当初から議論され、初代理事長が取り組んだ最初の事業の一つでもある。
石本準一初代理事長は「設立当時はまごついた面もあり、運動の主体は三信条のフレンドシップ(友情)とトレーニング(修練)であり、余力があればサービス(奉仕)という事に割り切って事業を進めた。」と設立当初の事業開催の難しさを語っている。初代理事長の話の通り、三信条のサービスである社会福祉活動は新潟学園の慰問、母子寮の慰問などを経て、若草寮の訪問が行われたのは、新潟青年会議所設立から5年後の田中梧郎理事長の時代である。
『社会福祉運動のその後』
1960年の児玉邦彦理事長時には、若草寮の「一日園長」を行うなど更なる社会福祉運動を行っている。
また、設立当初の新潟青年会議所は、当時(1954年)から社会福祉運動の一環として、チャリティーショー等を開催している。その一つに石本準一初代理事長の御声掛けにより鰐淵晴子一家によるバイオリンのチャリティーショーも開催されている。社会福祉運動のチャリティーショー開催までには資金集めの苦労等困難もあったが、当時の新潟青年会議所メンバーからの多大な協力もあり開催に至ったのである。このことからも当時の新潟青年会議所メンバーの結束力と友情の深さが分かる。