日本海夕日キャンペーンの支援
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『若手旅館経営者が立ち上がる』

 1985年(昭和60年)、上越新幹線や関越自動車道などの高速交通体網が整備された頃、新潟市の若手旅館経営者には「新潟市が通過点になってしまう」という危機感が高まっていた。首都圏との交通アクセスのよさが、新潟市を「通過点」に変えてしまうのではないか。街の魅力を創造し、人を新潟に引きつけたい、新潟という街を元気にしたいという思いから、新潟市旅館協同組合青年部の人たちが立ち上がった。テーマを「トキ」から「日本海と夕日」に変え、日本海夕日キャンペーンが産声をあげたのである。

『夕日コンサートの開催』

  旅館組合青年部を中心に、11人の市民実行委員会が集まった。そして、1986年(昭和61年)8月6日、新潟市関屋浜で初の日本海夕日コンサートが開催された。夕日はわずかに顔を見せただけではあったが、4000人が参加し、大成功を収めた。現在まで続く夕日キャンペーンの始まりなのだ。 新潟青年会議所も運営へ主体的に関わり、支援をすることでその礎を築く一部となった。市民と新潟青年会議所の協働により、新潟の多様な可能性を引き出してきたのである。

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『人間力大賞の受賞』

 1998年(平成10年)には、日本海夕日キャンペーンの代表である樋口潤一氏が、新潟青年会議所の推薦を受け、「夏の夕日を背景に老若男女が集える場ができたらという発想から、『日本海夕日コンサート』を提唱、開催」したことについて、「社団法人日本青年会議所人間力大賞」の「まちづくり・地域貢献」部門を受賞されたのである。