空港問題勉強会
あの戦争を問う5

『国際商業都市を目指して』

1990年(平成2年)当時の佐藤健之理事長は、その基本方針について次のように述べている。「本年度の基本方針は1987年(昭和62年)に我々新潟青年会議所の掲げた新潟地域ビジョン、『人と物と情報が集まる国際商業都市にいがた』にのっとって考えさせてもらったわけですが、3年間が経過し、国際化の波は好むと好まざるとにかかわらず間違いなく押し寄せて来ています。我々はそれを真っ向から受けとめて、その波に乗りながら青年経済人として新潟市の地域活性化の為の一つの戦略として、国際商業都市を実現する必要があるわけです。それが正しいか否かは現時点ではわかりませんが、少なくとも決められた戦略に対してはアクションを起こしていき、時代の変化によって軌道修正しなければならなくなったら、また考え直していけばいいのではないでしょうか。国際化という非常に大きなテーマは経済・文化・宗教・日常のすべてにかかわってくるものであり、新潟青年会議所という一つの団体での活動では実現は不可能であり、新潟市を構成している皆さん全員とで考えていかなければなりません。そこで今年の事業計画にあげたとおり、各委員会が国際商業都市を念頭において各分野、各団体とのネットワーク作りを広げていってほしいと思うわけです。」

 

空港問題1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『勉強会』

この基本方針のもと、当時の国際渉外委員会では「空港」を議題に取り上げ、新潟空港滑走路の1996年(平成8年)2500m化計画の話から、問題点などを考える勉強会を重ねていくことになった。当時の五十嵐祐司直前理事長から、2500m滑走路延長に絡んだ現状はどうなっているのか、また今後の新潟空港の在り方、大きくは新潟の在り方などについての講義を受け、問題点・事例などを挙げて委員会内で議論を戦わせていったのである。空港問題2

 

『5月例会』

そして迎えた1990年(平成2年)5月、国際渉外委員会の企画・運営によって、コーディネーターに新潟県企画調整部次長 東尾 正氏(当時)、そしてパネリストに運輸省第二港湾建設局局長 坂井 順行氏(当時)、新潟県日中友好協会会長 佐野 藤三郎氏(当時)、新潟空港利用促進協議会会長 中野 進氏(当時)をお招きし、滑走路を延長し国際空港を目指す新潟空港の様々な問題についての公開例会が行われた。会場には一般市民の方々も多くかけつけ、空港問題に関する市民の関心の高さもうかがえる例会となったのである。