『アストロドームを新潟に!』
アストロドーム構想は、1979年(昭和54年) 石本隆太郎 理事長の都市問題を考える第1回公開例会から始まったのである。その後、敦井榮一理事長、上原敦理事長、鶴木秀司理事長の下「都市問題」をテーマとした委員会が3年続いて設立され毎年公開例会開催という歴史を経てついに、1983年(昭和58年) 与田一憲理事長の下「大きな容れ物を新潟に!」建設しようとロマンが生まれました。そこでスポーツ、会議、見本市等多目的に利用できる全天候型の大ドームを新潟の目玉として建設し、それを核として活気あふれる都市にいがたを作ろうと運動を行ったのである。
(※アストロドームとはアメリカ合衆国にある世界初のドーム型球場)
『アメリカ視察へ』
2月6日から10日間アメリカのヒューストンに8名の視察団が派遣された。アストロドーム、メトロドーム、スーパードーム等を視察。その後、新潟東ロータリークラブ卓話での報告を皮切りに各所で報告会を行った。公開報告会では60名余りの方々が参加し活発な意見を貰い公開例会へと繋げた。
『市民からの声を』
1984年(昭和59年) 本間剛三 理事長の下10月24日「水の新潟21シンポジウム」を通じ市民の声を聞きコンベンションビューロ設立へと繋がっていったのである。