志を貫く生き方とは?
皆様、お疲れ様です。
まずは先日の例会の担当、小菅委員長始めとする、新潟のリーダーシップ開発委員会の皆様
本当にお疲れ様でした。一般来場も多く、御負担も多かったかと思います。
リーダーシップという難しいテーマで、どこまで理解をしてもらえることができるかを
講演とパネルという手法で、うまく伝えることが出来たかと思います。
本当にお疲れ様でした。
私がパネルで伝えきれなかったことを、この場を借りて書きたいと思います。
これからの時代を生き貫くという問いに対しての考えですが、最近、自分の死について考えました。
若いころ(10代、20代)の頃は、死ぬという事実、自分の体を失う、心だけが本当に残るのか?どんな世界なのか?
と、恐怖を感じ、死ぬことを受け入れることができませんでした。いまでも、とてもとても怖いです。
でも最近、気が付くと、あまり考えなくなっていました。
何故かと言えば、自分より死んでもらいたくない存在が居るからです。
仮に自分が死んでも、生き伸びて欲しいと心から思う存在が居ることによって、そのような局面に置かれた場合、
おそらく死ぬことが恐怖ではなくなるのかと思います。当然、私にしてみれば、それは娘であり家族であり。
自分よりも大切なものができたということでしょうね・・・。
話は逸れましたが、人間いつかは死にます。すべての人が死に向かって歩んで行く訳ですが
そうであるならば、その道程をできるだけ充実させる為に励み、試み、考えながら歩んでいかなくてはなりません。
動けなくその時を、見苦しくなく、できるだけ思い残すことなく、その時を迎える為に。
私ならその場面で回想するとするなら、自分はどんな生き様をしてきたか、社会に必要とされる存在だったか、
志を持って生き、それを貫くことができたか、その志を受け継ぐ人材を育てたか。
死ぬときは、お金も車も地位や名誉など、なんにも役には立ちません。
だから死んでからこそ、社会に受け継がれるような志を持って、それを貫くことが
リーダーとしての生き方なのかなって思います。(当然その過程で様々な知識や人間としての器が必要なのですが)
終わりを見つめて、俺はどのように終わるか、目的を持つことによって
その目的の為に、自分の生き方も変わって行くと考えております。
社会に必要とされるリーダーを目指して、終わりの美学を創り上げたいと思う今日この頃です。
ナオキ