これから・・・。
こんにちは。
先日行われました、12月例会卒業式。
斎藤委員長を始めとするオリエンテーション委員会の皆様、本当にありがとうございました。
涙あり笑いありの、あっという間の卒業式、最高の思い出になりました。
映像を見ながら、当時の様々な思い出が頭をよぎり、何度も何度も目頭が熱くなり
サプライズゲストは、薄々感づいていましたが、嫁と娘の登場で涙を流してしまいました。
今年、様々な場面で使われた言葉「家族愛」は、私の一人娘への愛が原点です。
そこから基本方針を作り上げたのでした。だから正直、卒業式のステージで
正面から娘の顔を見ることができませんでした。
すべての事業に対し、荒削りだったかもしれませんが、全力投球でやってきたつもりです。
それらに答えてくれた、すべての委員会には感謝しきれないほど感謝しております。
そして、40歳の歳で理事長をさせていただき、私自身の集大成の年でもありました。
そして、これから・・・。
18日の新潟日報朝刊に掲載されましたが、これからの事について書きたいと思います。
新聞報道や噂話が広まり、御存じの方も多いかと思いますが、来年の4月
統一地方選挙、新潟県会議員に自民党公認で立候補することになりました。
新潟西区からの出馬となります。
お話をいただいたのは3か月前くらい前だったと思います。
私自身が、そのような器ではないので、ひたすらお断りさせていただいておりまして
ただ、お断りすることが心のどこかで、フォーラムなどで市民の前やメンバーの前で、
自分の口から発している言葉に嘘をついているような気持ちがあったのも事実です。
だから、ずっと悩みました。
10月、11月、12月と、月が変わるごとに徐々にノイローゼ気味になるくらい、
夜中に「ハッ」と目が覚めるくらい、考え込みました。
お願いに来られる自民党の先生や支援者の方々、弊社に私を説得しに来られる度、熱いお言葉を私に投げかけてくれます。
それらの言葉に答えられる人物ではないし、正直、今年の理事長職で「燃え尽き」感があったのも事実で
体力、気力も湧きあがりませんでした。
自分の仕事もあるし、家族だって、これ以上負担はかけたくありません。
言い方を変えれば、今まで通りに得意分野の仕事だけやって、たまに旅行なんかして
今までがんばって走り続けたのだから、これからは「楽に生きたい」という気持ちが強かったのかもしれません。
私は幸せ者です。
様々な方から温かいお言葉をいただき、そこまで言ってくれる方々がいるのであれば
その期待に答えられるかは解りませんが、自分のやれるところまで、やってみよう。
仕事も今まで通りに両立し、公に対してJCで学んだことを県政で実現してみよう。と、
誰に頼まれたからとかではなく、自分で自分の結論を出しました。
韓国ヨイド訪問の翌々日だったな。
お金もかかります。だから両親や家族に相談し、借金をしました。
落選したら、家族でアパート暮らしの覚悟です。
でも、それが自分の出した答えなので、これからは当選し、公の期待に答えられるように
4月10日まで必死に選挙に立ち向かいたいと思っております。
当然ながら、私が社会に出て、公に対する思いを育ててくれたのは新潟JCであり
私が必死に戦い、当選することが、新潟JCに対する恩返しでもあり、新潟JCの全メンバーが
自分のLOMに誇りを持ってもらい、そして、同じ目線で共に運動を展開していくことが、
これからの私にできることなのかなって思います。
卒業スピーチでお話しましたが、とかく「やる気があれば何でもできるさ」とか他人には言います。
でも現実は「やっても出来ないこと」の方が多いです。
でも、「やってみなくては」出来るか出来ないかは、わかりません。
目の前に高いハードルがあり、それを飛ぶことによって人間は成長できるのではないでしょうか。
だから、自分の成長だけではなく、未来の子供達の為に
自分の半生に誓って「やってみたい」と思います。
ナオキ