こんにちは。
涼しくなり、夏の疲れがどっと出てきて、だるい毎日を過ごしております。
お陰で、布団に入ると落ちるように睡眠に入ります。よく寝れます。
先日行われました9月例会、領土・領海問題を取り上げ、設営にあたった
川上委員長を始めとする対岸問題検証委員会の皆様、お疲れ様でした。
2回目の例会ということ、他にも4月(拉致問題)の影響で負担が多い中での設営でしたが
無事、終了することができました。ありがとうございました。
同じタイミングで、東シナ海、尖閣諸島海域での中国漁船の追突事故。
毎日のように、中国側の抗議の報道がされております。国民性でしょうか、中国や
周辺アジアの反日の抗議の風景は、耐えがたい様相です。
ここで明言しておきますが、尖閣諸島に関しては昔から日本の領有であり、それも中国諸国も
認めていた事実があるのです。ある発見をするまでは。
御存じの通り、周辺海域には石油資源が埋蔵されているという可能性があり、昭和43年以降
その可能性を知った中国、台湾などが自国の領有を主張し始めたのです。
解りやすくする為に、次の事実を示します。

これは、大正九年(1919年)の冬、魚釣島近海で中国人が遭難しているのを日本人が見つけて救出。
八重山島庁(当時)、石垣村役場も総出で救援活動を行い、31名を無事に本国に帰還させたのです。
このことに対して中華民国の長崎領事が感謝状を贈ったのが、上記の物なのです。
感謝状は玉代勢氏の他、石垣村長(当時)の豊川氏、古賀善次氏
与那国島出身の通訳、松葉ロブナスト氏、計4名に贈られました。
現存するのは玉代勢氏に宛てた、この貴重な1枚だけであり、同氏の長男が石垣市に90年頃寄贈したものです。
この感謝状の中で中華民国長崎領事は魚釣島のことを「日本帝国沖縄県八重山群尖閣列島内和洋島」と記し
救助した島民を「日本帝国沖縄県八重山群石垣村雇玉代勢孫伴君」と明記しております。
つまり当時の中国政府は魚釣島を間違え無く日本の領有だと認識していたのです。
(ちなみに和洋島とは魚釣島の日本名の呼び名のひとつです)
海底地下に石油資源があるからって、認めていた日本の領域を自国の物だと主張し、排他的経済水域の中間線も
大幅に基線から入り込んだ位置で主張。その交渉で日本は互いの200カイリの中間線での交渉をせずに
もっと手前で交渉を持ちだしてしまった為に、中国は解決済みという見解を示し現在に至っております。
講師の佐藤正久さんも仰っておりましたが、領土領海問題について、政府は今まで全くと言っていいほど
関心を持たず、国会でも、この問題を解決に導く委員会が存在しないのは不思議でなりません。
今回のフォーラムは、かけ離れたテーマだったり関心が薄いテーマだったせいか、入場が少なかったのですが
尖閣諸島だけではなく、北方領土も竹島も、危機に晒されてる対馬も、問題を知れば
その重要性に気づく筈です。日本は浸食され続けているのです。
少なくても、この問題を知った私たちは、意識を持つことによって、署名運動や地域の代表を選ぶ選挙など
国益や主権を民間人として守る場面に出くわした際には、しっかりした意見を持たなければなりません。
そして、今回のフォーラムで知った事実を広めて行かなければならないと、深く思った週末でした。
ナオキ
こんにちは。
1週間前より、だいぶ涼しくなり過ごしやすくなりましたね。
一歩一歩、秋が近付いてきています。
各報道でも御存じの通り、先日、東京都知事に面会、東京都庁にて記者会見に出席してまいりました。
我々と東京都を橋渡ししてくれたのは、東京ブルーリボンの会です。
4月の拉致のフォーラムに参加し、マンガ「家族愛」に共感していただいてからのお付き合いで
5月に衆議院会館での院内集会、その後、福島市や群馬県など広く橋渡しをしていただきました。
そして、全く想定外だった石原都知事との面会。
当日のエピソードと感想を書きたいと思います。
当日は新潟から7名の参加をいたしました、議会棟の控室で拉致被害者の御家族(横田御夫妻)や
特定失踪者の御家族、都議員や関連団体の方々と御一緒させていただき、その際に
「若い方々が新潟から7人も来るなんて、今までいろんな集会をしてきたけど初めてだ」と
関係者から言われ、あらためて若い世代の無関心さを感じました。
軽い打合せ後、いよいよ知事局に移動、都の警備の方々などが現れ緊張が走ります。
SPの方々は、どのルートを通過して、あと何分で到着するなどの連絡をインカムで
連絡を取り合っております。それにしても迷子になるほどの広さでした。
通された部屋は会議室のようなホールのような感じの部屋で、既にテレビカメラや記者が
重なるように陣取っていました。テレビで見たことのある取材風景です。
席に案内され、トップの知事の隣ということを知り、また緊張が走ります。
しばらく喋りながら待っていたら、後方より過去に感じたことの無いオーラを感じます、
石原都知事が到着しました。
冒頭、東京ブルーリボンの会の河村様より面会の御礼から進行が始り
トップバッターとして新潟JCを代表し、私からの説明です。
取材陣よりも隣に都知事がいることで、今までにない緊張をしながら、東京都配布の御礼
作成の経緯や今後の活動について説明させていただきました。
その後、数人から御礼と要望の後、メディアは一斉退席となり、石原都知事とのフリートークに移ります。
知事は開口一番、「拉致問題は国や政府の問題だ、家族愛とかセンチメンタルな事で解決はできない」
「北朝鮮や政府に乗り込んででも取り返す政治家はいないのか」「無力である我々は恥ずかしい、申し訳ない気持ちで一杯だ」
と、仰いました。
私の言葉足らずの説明で、冒頭に「家族愛」を指摘、ただ都知事の言葉の意図は、その後明らかになりました。
私は若い世代は「国や外交の問題」という観点でしか捉えて居ない現状を身近な「家族愛」というテーマで
無関心で他人事だと思っている若い世代に対し、知ってもらい喚起に繋げ、政治家や国を動かす為の手法として
「家族愛」という被害者の原動力とも言えるテーマを掲げたのですが
石原都知事は、それだけではなく
今まで何年かかっても解決できないもどかしさを、自分自身や政府に言い聞かせているように、そして被害者に対し
何度も何度も詫びていました。
石原都知事は自らの責任として捉えての発言だったのです。
国や政治家、確かに責任はあります。でも、ちょっとは意識のある国民の私から言わせていただければ
そんな政治家を選んできた我々にも責任もあり、国民が意識を高めることから国を動かす原動力になるのではないかと思うのです。
「出来る限りの要望や行動は必ず行うし、やれることはすべてやっていきたい」と発言されておりました。
他にも朝鮮学校無償化の問題や、様々なお話をされたのですが、発言の節目、節目には必ず
「何でこんな国になったのか」「このままでは死んでも死に切れない」と感情を露わにしておりました。
面会も当初、20分程度しか予定していなかったにも関わらず、45分もの面会となり
関係者より後から聞いた話ですが、「知事の機嫌が良かった、もしくは緊急の問題」と捉えていなければ
延長することはないそうです。
石原都知事が退席する際、私は「ありがとうございました」と御礼を申し上げたところ
一言、小声で「がんばろうな」と言われました。
緊張も取れ、今回面会した意義や、今年新潟JCが行った運動について、あらためて成果と
これからの決意を強く持った次第です。
その後、別室で対談したメンバーの記者会見が行われ、終了となりました。
今回、思ったのは、新潟JCが作成したマンガ「家族愛」が意識を高めるためのツールとして
解決へと繋ぐ風穴となり、人々の心を動かす事ができるのであれば
私自身、諦めることなく、全面解決というゴールに向かって、やれることはすべてやろうと
深く心に刻んだ一日でした。
一緒に行ってくれたメンバーの皆様、ありがとう!お疲れ様でした!
ナオキ